お知らせ
パレオゲノミクスによるマヤ文明コパン王朝のダイナミクス解明
- 日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(S) 22H04928 -
Elucidating the dynamics of the Copan dynasty in the Maya civilization through paleogenomics
近年における生命科学分野の革新的進展は、考古学にも変革の波を押し寄せている。 パレオゲノミクス(=古代ゲノム学)は、遺跡に埋まっている古人骨から大量のゲノム情報(被葬者個人に関する生前の遺伝情報)を抽出して、従来型の考古学研究では明確に可視化できなかった血縁関係、婚姻システム、社会構造、他地域社会との混血や融合といった諸相を科学的に解明しようとする分野である。かつてはミトコンドリアDNA配列の解析が限界であったが、今や古人骨中の微量DNAの抽出・解析技術の進展により全ゲノム解読が可能となり、得られる情報の質と量が全く異なる新段階となった。まさに時代は、新世代考古学の創成へと動いている。
本研究は、世界遺産「コパンのマヤ遺跡」の王墓出土人骨を含む数百サンプルの古人骨から大量のゲノム情報を抽出・解析して、従来の研究では仮説にとどまっていた諸相(居住民の遺伝的起源、王朝の起源、他のマヤ王家との親族関係など)に斬りこみ、コパン王朝のダイナミクスを解明しようとする。
日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(S)
科学研究費助成事業データベースサイト (https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-22H04928/)
研究代表者 | 中村 誠一(なかむら せいいち) 公立小松大学, 大学院サステイナブルシステム科学研究科・特別招聘教授 / 次世代考古学研究センター長 |
研究分担者 | 中込 滋樹(なかごめ しげき) 金沢大学, 古代文明・文化資源学研究所, 客員准教授 ダブリン大学トリニティカレッジ, 医学部, 助教 |
伊藤 伸幸(いとう のぶゆき) 名古屋大学, 人文学研究科, 助教 |
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市川 彰(いちかわ あきら) 金沢大学, 古代文明・文化資源学研究所, 准教授 |
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研究協力者 | 覚張 隆史(がくはり たかし) 金沢大学, 古代文明・文化資源学研究所, 准教授 |
研究計画(研究地域・研究資料・研究方法)
研究計画
(研究地域・研究資料・研究方法)
マヤ文明は、紀元前4世紀頃からスペイン人たちによって征服された紀元後16世紀まで、現在のメキシコ南部から中米の5ヶ国にまたがって栄えた古代文明である。旧大陸の古代文明とは異なり、地域全体に統一王朝が出現することはなく、各地に独自の支配者を有する王国が最盛期には60近く存在した。世界遺産に登録されているホンジュラスのコパンやグアテマラのティカルは、そのうち最も代表的な古代都市王国の事例である。
マヤ文明最盛期の王国の支配者たちは、碑文に自身の業績や王国の歴史を彫り刻み後世に残した。1980年代半ばから急速に解読が進んだマヤ文字碑文の内容は、マヤ文明研究の方法を一変させ、従来の考古学では明らかにできなかった各王国の王朝史が復元されるようになった。しかしながら、王によって碑文に刻まれた「歴史」には、十分な史料批判が必要である。例えば、碑文によればコパン王朝の創始者は外来王で、同時代の考古学的な建築様式の類似や土器型式の繫がりから、その出身地はグアテマラのティカル遺跡であると考えられている。この記載は歴史的事実であろうか? 2000年代に入ると、同位体化学の進展により、ストロンチウムや酸素の安定同位体比から、その土地の出身者と他地域からの移民が区別できるようになったが、各都市を治めた王の出自や王家間の繫がりまでは検証できなかった。
そこで、本研究では自身の発掘した古人骨資料から大量の遺伝情報を取り出し、マヤ碑文に刻まれた歴史を検証するとともに、「王」「王妃」「王家の子供」といった個人に焦点をあててその系譜を探り、マヤ文明を代表する古代都市遺跡の一つであるコパン王朝の歴史動態を解明しようとする。
19世紀末のコパン遺跡における考古学調査開始以来、主に出土する土器型式や建造物の建築様式の類似から、マヤ文明の南東周縁に位置するコパンには、歴史的に非マヤ系の人々が居住しており、そこへマヤ文明の中心地ティカルなどから支配者集団が移住し在地民を征服してマヤ王朝を興したという「外来征服王朝説」が唱えられていた。つまりコパン王国では、支配者層はティカルなどマヤ文明中核地帯の強大な王国の支配者層とつながるマヤ系集団であったが、一般の居住民はホンジュラス中央部からエルサルバドルへとつながる非マヤ系の民族集団であったという仮説である。本研究では、王朝創始前の時代からのコパンとその周辺地域の古人骨のみならず、エルサルバドルの同時代の遺跡の古人骨からのゲノムデータを取得することで、支配者層と一般居住民の遺伝学的な起源を同定し、考古学的な資料とともにこの問題に迫る。
王家人骨の遺伝情報の解析
本研究に使用する分析対象資料は、研究代表者が過去37年間にコパンおよびその周辺地域で発掘調査し回収した古人骨資料で、出土地点・出土状況・年代の明らかな約250個体の人骨である。これに、コパンと密接なつながりを持つグアテマラのカミナルフユ遺跡やエル・サルバドルのタスマル遺跡、サン・アンドレス遺跡で研究分担者が発掘調査し回収した古人骨資料約50個体を補足資料として加える。 さらに、コパン、ティカルというマヤ文明を代表する2つの王国の王家同士の関係をゲノム解析を通して明らかにするため、研究代表者がコパンで発掘した王墓人骨に加えて、ホンジュラス政府の特別許可により、碑文学的・考古学的に王家人骨であると同定されている古人骨3個体もサンプルとする。グアテマラのティカル遺跡では王家の墓の発掘調査を行い、出土地点・出土状況・年代の確かな古人骨を回収する。サンプルは破壊分析に付されるため、研究倫理指針に従い、現地政府の許可のもと現地で最小限のサンプル量を取得し、金沢大学とダブリン大学という、ゲノム解析ができる最新装置をもつ独立した二つの研究機関において、相互に解析結果を比較・検証しながら、核ゲノム解析を進める。
この研究によって何をどこまで明らかにしようとしているのか
コパンにおけるマヤ文明社会の実相解明-コパンの一般居住民は非マヤ系民族であったのか?
コパンにおけるマヤ文明社会の実相解明
コパンの一般居住民は非マヤ系民族であったのか?
19世紀末のコパン遺跡における考古学調査開始以来、主に出土する土器型式や建造物の建築様式の類似から、マヤ文明の南東周縁に位置するコパンには、歴史的に非マヤ系の人々が居住しており、そこへマヤ文明の中心地ティカルなどから支配者集団が移住し在地民を征服してマヤ王朝を興したという「外来征服王朝説」が唱えられていた。つまりコパン王国では、支配者層はティカルなどマヤ文明中核地帯の強大な王国の支配者層とつながるマヤ系集団であったが、一般の居住民はホンジュラス中央部からエルサルバドルへとつながる非マヤ系の民族集団であったという仮説である。本研究では、王朝創始前の時代からのコパンとその周辺地域の古人骨のみならず、エルサルバドルの同時代の遺跡の古人骨からのゲノムデータを取得することで、支配者層と一般居住民の遺伝学的な起源を同定し、考古学的な資料とともにこの問題に迫る。
コパン王朝の起源と系譜の解明-マヤ碑文に刻まれている歴史情報は真実か?
コパン王朝の起源と系譜の解明
マヤ碑文に刻まれている歴史情報は真実か?
マヤ碑文においては、しばしば支配者(王)が、自身の系譜を碑文に刻んでいる。コパンにおいても、16代目王は、自身の母親がコパンから遠く離れたメキシコの古代都市パレンケ王家の出身であると石碑8に刻んでいる。また祭壇Qでは、初代王は外来者であることが述べられ、碑文学的・考古学的な間接証拠からその起源はグアテマラのティカル王家であると考えられている。こういった「歴史情報」は、現在のマヤ文明研究においては、十分な史料批判を受けることなく、碑文解読家たちの提唱に従って、歴史的な事実として扱われているが、ゲノム情報に基づき系図を再構成することで、王家の系譜を直接辿ることができる。本研究では、特にコパン王朝の起源地と考えられているティカル遺跡出土の王家人骨の分析も加え、考古学的な資料とともにこの問題に迫る。