研究報告(市川彰)- 2024.10.22

更新日:2024.10.22


 本研究プロジェクトの中心調査対象であり、古代マヤ文明を代表する王朝であったコパンとエルサルバドル西部の諸都市(チャルチュアパやサン・アンドレス)は「何らかの関係があった」と、古くから研究者の間で言われてきました(Boggs 1943)。なぜなら、土器や建築といった遺物や遺構のなかに「似ているもの」があるからです。しかし、この「似ている」という指摘以上の研究は十分におこなわれてきたとはいえません。本研究プロジェクトはパレオゲノミクスという革新的な分野の技術を通して、被葬者個人の来歴や人間集団の移動などについて迫る研究ですが、そうした研究成果を解釈するうえで前提となる考古学的仮説を丁寧に組み立てていくことも重要な作業となります。そこで、自分自身の発掘資料に加えて、エルサルバドル国立人類学博物館所蔵の写真アーカイブス、米国トゥレーン大学所蔵の写真アーカイブス、米国ピーボディー博物館のオンライン写真アーカイブスを入念に精査しました。

 まずは考古学で最も重要な遺物のひとつである、土器についてです。「似ている」土器は、おおむね同じ時期の土器と同定されます。しかしながら、エルサルバドル西部の土器編年とコパンの土器編年を見比べてみると、似ているとされる土器の時期が微妙に異なります。例えば、エルサルバドル西部で紀元後200~400年の時期に相当するとされる土器(チランガ・タイプ)は、コパンでは紀元後400~600年に相当します。これは単にいずれかの土器編年がおかしい可能性もあります。しかし、もしこの時期差が本当なのであれば、エルサルバドルから土器職人が移動したか、あるいは人を介して情報や技術が移動したのかなどの仮説が立てられます。また、こうした特定の似ている土器がある一方で、日常用の土器などは各都市に特有のもの、あるいは伝統的なものが選ばれる傾向にあります。こうしたことは、大きな集団移動があったというよりも、交易などを通じて特定の土器だけが流通、または製作技術が伝播し、流行を形成したことを示しているのかもしれません。今後は、これまで蓄積された放射性炭素年代測定データなども含めてより高精度な土器編年の構築から、より蓋然性の高い仮説を考えていく必要があります。

次に、「似ている」とされてきたのは、コパン遺跡中心部とエルサルバドル西部サン・アンドレス遺跡中心部の建造物配置です(図1)。この建造物配置では、北に大広場、南に外部から見えることのできない小さな広場をもち複数の建造物からなるアクロポリスがあります。建造物配置が似ているということは、設計の原理や配置の意味や使用方法、世界観などが人々の間で共有されていた可能性が考えられます。しかし、コパンの大広場には歴代王が建立した石彫群や球技場などがある一方で、サン・アンドレスの大広場ではほとんど遺物を収集することができないことから、綺麗に使用していた、もしくは単に人々が集まる場所として機能していたようです。またコパンのアクロポリスには、代々の王が眠っているとされていますが、サン・アンドレスでは墓というよりも儀礼の場としてさまざまな活動がおこなわれていたようです。それから、コパンが石の建造物である一方で、サン・アンドレスは土の建造物です。またコパンとの関係が示唆されているチャルチュアパの建造物配置は、コパンやサン・アンドレスとは大きく異なっています。このように通説で「似ている」と言われているものも、細部を見てみるとその「違い」が見えてきます。

以上のような遺物・遺構だけではなく、動物信仰に関する新たな知見も得られました(図2)。サン・アンドレス遺跡のアクロポリスでは、ホゾ付きの蛇の石彫が5点出土しています。またホゾ付きのコンゴウインコの石彫が2点、カエル、ジャガー(もしくはウサギ)の石彫がそれぞれ1点出土しています。ホゾ付きの蛇の石彫はグアテマラ高地や太平洋岸で多く報告されていますが(伊藤1999)、コパンでも1点確認できました。しかし、ホゾ付き・蛇という共通性以外は、各地の様式には多様性があります。そして、コパンで出土しているホゾ付きのコンゴウインコの石彫は、球技場マーカーとして使用されている可能性が高いですが、サン・アンドレス遺跡には球技場がありません。サン・アンドレスのコンゴウインコの石彫は広場におかれた祭壇と多数の香炉とともに出土しています。さらに出土地が全て広場からということをふまえると、ホゾ付きの蛇の石彫も含めて、本来の使用目的ではなく、儀礼用として広場に埋納されたと考えられます。なお、チャルチュアパではこうしたホゾ付きの石彫は出土していません。上述した動物たちはメソアメリカの世界観では、権力、再生、豊穣といったものを象徴しており、それらが各地域や都市で物質化され、儀礼に用いられた(あるいは用いられなかった)ことがわかります。

このように単に「似ている」という段階から、さまざまな文化要素、技術、信仰を共有しながらも「違い」、言い換えれば、多様性を有するよりダイナミックな社会や文化の姿が見えてきます。こうした考古学的な情報をさらに多く引き出すことで、最新科学の分析結果の解釈に役立てることができるでしょう。以上の成果の一部は、欧文査読誌に投稿中で、査読を通過したのちに掲載される予定です。引き続き、考古学的情報の精査をつづけながら、エルサルバドルで発掘された人骨の選定などにも取り組む予定です。


図1 サン・アンドレス遺跡(左)とコパン遺跡(右)の中心部建造物配置(縮尺なし、サン・アンドレス遺跡は筆者作成、コパン遺跡はFash 1992: Fig. 2をトレース)
図1 サン・アンドレス遺跡(左)とコパン遺跡(右)の中心部建造物配置
(縮尺なし、サン・アンドレス遺跡は筆者作成、コパン遺跡はFash 1992: Fig. 2をトレース)

図2 コパン遺跡のコンゴウインコの石彫(筆者撮影)
図2 コパン遺跡のコンゴウインコの石彫(筆者撮影)


参考文献
  • Boggs, Stanley H. 1943 Notas sobre las excavaciones en la Hacienda “San Andrés” Departamento de la Libertad.” Tzunpame 3: 104–126.
  • Fash, Barbara 1992 Late Classic Architectural Sculpture Themes in Copan. Ancient Mesoamerica 3(1): 89-104.
  • 伊藤伸幸 1999 「マヤ南部地域でみられる横方向にホゾが付いた石彫」『名古屋大学文学部研究論集(史学)』45: 55-94.