「パレオゲノム解析用人骨サンプルの選定に関する報告書(その2)」(中村誠一)- 2023.01.09

更新日:2023.01.09


はじめに

 基盤研究(S)「パレオゲノミクスによるマヤ文明コパン王朝のダイナミクス解明」を推進する目的で、コパンの研究センターにおいて、PICPAC1 およびPROARCO2 発掘人骨からの分析用サンプルの選定を継続した。選定されたサンプルは、ホンジュラス人類学歴史学研究所の許可のもと日本へ持ち帰られ、研究協力者の覚張に引き渡された。


1 1999年から2002年まで世界銀行や日本政府の支援で実施され筆者がディレクターを務めたコパン遺跡保存統合計画のスペイン語略称。道路建設前の緊急発掘調査において、2000年9月に「王墓」が発見された10J-45建造物を中心とした区域で、50近い埋葬を発掘調査・回収した。
2 2003年から2019年まで日本政府からのノンプロジェクト無償資金協力のホンジュラス側見帰り資金を原資として断続的に7シーズンにわたって実施されたコパン考古学プロジェクトのスペイン語略称。全期間にわたって筆者が指揮し、180近い埋葬を発掘調査・回収した。金沢大学からこれまでに4巻の報告書が刊行されている。



選定期間

 11月7日~11日の週を中心に11月18日までCRIA3 で実施した。


3 Centro Regional de Investigación Arqueológica すなわち、ホンジュラス人類学歴史学研究所附属コパン地方考古学調査研究センターのスペイン語略。


選定者

 Hernando Guerra, Josue Murillo, Melvin Fuentes(IHAH代表)


選定部位と選定サンプル数

 今回の選定においても、側頭骨錐体部だけをターゲットとし目視による確認においてPICPAC 15埋葬, PROARCO 30埋葬の合計45の埋葬から分析用サンプルを選定した。その部分が残っていないと考えられる埋葬は選定から除外している。


選定の際の問題点と課題

 選定にあたった助手二人は骨学専門家から訓練を受けているが、残存状況として人骨の該当部がすでに破片状になって取り上げられている埋葬の場合、一部のサンプルは頭蓋骨ではあるが該当部位のものではない可能性がある。

 前回(第一回目)の選定では、助手たちが選定した40サンプルのうち、確かに側頭骨錐体部であったものは覚張によれば29サンプルにとどまった(72.5%)。また、2019年のスクリーニング調査時に覚張によって採取された個体と同一埋葬から新たに採取された4サンプルは、やはり側頭骨錐体部ではなかった。今回も45サンプルのうち、6サンプルは同様の条件であるため、これらは側頭骨錐体部ではない可能性が高い。そのため、前回の事例を参考に推測すると、持ち帰った45サンプルのうち、30~33サンプル程度が該当箇所の人骨サンプルであると推測される。一方で、前回同様、明らかに側頭骨錐体部が残存していると思われるものの、頭蓋骨全体が形質人類学者により復元されているものや、土のブロックとして周辺土とともにそのまま取り上げられているものは、今回も選定対象とはしなかった。


安定同位体分析との照合

 今回のパレオゲノム解析用サンプル埋葬のうち、いくつかの埋葬においては、2010年代に安定同位体分析(87Sr/86Sr, δ18O, δ13C)が行われ、Price, Nakamura et al. 2014, 鈴木2017、Suzuki, Nakamura et al. 2020等に出版されている。それらとの照合も行われた。


特に注目すべき埋葬サンプルについて

 今回の埋葬サンプルの中で、注目すべきサンプルについて記述する。埋葬10-2001が出土した建造物10J-62(B)からは、同位体分析で在地民を示すその他の埋葬も複数見つかっているが、この建造物から出土した一つの貝製胸飾りが1992年にアクロポリスで発見された通称「サブジャガー王墓」の副葬品である貝製胸飾り覆いの一ピースと極めてよく似ている。すでに「サブジャガー王墓」の副葬土器と10J-45「王墓」副葬土器の間の類似点や、「サブジャガー王墓」の正面に位置するアクロポリスの建造物基壇アンテの正面階段下で発見された奉納品と10J-45「王墓」の正面広場で発見された奉納7との類似については、繰り返し述べられてきたところである。こういった考古学的な事実は、アクロポリスに埋葬された「サブジャガー王墓」の被葬者と10J-45「王墓」の被葬者を含むこの地区の住民が同時期の人たちであり、両者は何らかの関係を持っていたと推測できる。これらが、ゲノム解析で明らかになることが期待されている。

 その他のPICPACサンプルの注目点としては、埋葬28-2000の2個体は、10J-45「王墓」とは直接の関係はなかったものの、建造物10J-45内部から発見された埋葬である。10J-45建造物自体、4時期の建築段階(フェーズ)が確認されているので、同時期の埋葬かどうかの確認が必要であるが、同一建造物内から出土した埋葬としてその関係が注目される。

 さらに、埋葬32-2000は、埋葬として取り上げられたが、10J-45「王墓」に捧げられた正面広場中央の奉納の一つ(奉納8)である。奉納8は、その小型石室のような直方体の遺構の中に、頭蓋骨だけが埋葬されその首周りにヒスイと貝のペンダントが3つ置かれているという極めて特異な奉納であった。Priceらの同位体分析では、この頭蓋骨の人物は在地民という結果が出ているが、同じ10J-45「王墓」被葬者へのいけにえとして捧げられた埋葬35-2000と何らかの関係があるのかゲノム解析で解明されれば興味深い。

 一方、今回のPROARCOサンプルの中で注目される埋葬としては、埋葬129,134,137,140,141がある。埋葬129は、建造物9L-107のベンチ下に作られた石棺墓にコパドール多彩色土器やヒスイのペンダント等の副葬品とともに屈葬で埋葬されていた。副葬土器の編年から時期的には8世紀の墓と思われる。副葬土器はコパン特有のものであるが、同位体分析では移民とされている。埋葬134は、この区域では、あまり例のないウルア・ヨホア多彩色土器を副葬品として持つ埋葬である。

 埋葬137は、同位体分析では移民と出ている。コパンの土器分類でPluluyaに相当すると思われるビハック期の土器を副葬品に持ち、放射性炭素年代測定でも裏付けられている。考古学的には、グアテマラ高地からエル・サルバドルにつながる地域と関連している可能性があり、ゲノム解析による解明が必要である。

 埋葬140は、Rene Viel によれば、コパンでは最初の出土例となるテナンプアタイプのウルア・ヨホア多彩色土器を副葬品として持つ。土器編年では遅い時期(王朝末期=9世紀)の埋葬である。共伴する他の副葬土器の相対年代とも整合的である。しかしながら、共伴炭化物から得られた放射性炭素年代とこの土器編年との間に乖離があるため、人骨からの年代測定が求められる。

 埋葬141は、9L-23グループで発見された埋葬の中では、一番副葬品の豪華な埋葬の一つであるが、考古学的には解明しなければならない点が多い。副葬土器は、コパドール多彩色土器、カテルピジャール多彩色土器であり、典型的なコパン特有の土器である。副葬土器から示唆される編年は7世紀であるが、共伴炭化物の放射性炭素測定年代は、古い値を示している。埋葬遺構は、直方体の簡易石棺の2側面のみにブロック状の石積がみられる特異な形で、放射性炭素年代と整合しているように思われる。埋葬141はこの遺構と同時期で、7世紀における建造物の改築過程で偶然出土したため副葬品だけが捧げられ埋め戻されたのか、古い埋葬遺構が再利用され、7世紀の埋葬がそこに行われたのか、人骨からの年代測定が求められる。埋葬141の同位体分析は、この被葬者が移民であったことを示している。